心理的安全性って、自分で作れると一気に肩の力が抜ける…気がする
最近、「心理的安全性」言葉をよくみます。
心理的安全性って言葉の本質をきちんと理解しているわけではありませんが、
仕事に限らずですが「自分の逃げ道」を作ることにも言えると思うんですよね。
生きている限り心理的安全性なんて常に担保されているわけじゃないんだし。
最近、「エンジニアは情報工学を知っとけ」とか、
「は?基本情報?そんなのもってても意味ねーよ!」とか、色々言われて心がすっごい消耗していた時期があったんですね。
もう気持ちはこんな。
お前らクソ強エンジニアと違ってこっちは工業高校も高専も理工系の大学も出てないわ!
なんだったらコーディングとかもろくにできねーわ!!
あんたがたの一般常識?そんなの全然わからんわ!!とか、
思いながら気持ちが凹んでしまっていた時期がありました。
が、ある時思いました。
「そんな事を言っている貴方達はサイボーグみたいに完璧なんですか?」
って。違うんですよね。正直。
言っている人は言っている人なりの逃げ道を作っていて、実際に真正面から受け止められる人は極少数なんじゃないのかなと。。。
「エンジニアはこうあるべき!!」とか言っている人って
逃げ道を持ってたり、昔の自分はどうだったのかっていうのを忘れていると思うんですよ。それに顔が見えない何万人の人に自分という存在をどうアピールしていくのっていう見せ方戦略の場でもあると思うんですよ。
自分を大きく見せたいっていう承認欲求を満たせる手軽なツールがネットなんだし。
そう考えると「言ってること半分」くらいにしておいたほうがいいんと思うんですよ。だって、ネットでまでストレス蓄積したくないもん。
なので、今は「エンジニアは情報工学やんないとエンジニアじゃねーー!!」
「押忍!これから情報工学やります!押忍!!」
じゃなくて
「エンジニアは情報工学やんないとエンジニアじゃねーー!!」
「いや〜。そうみたいですね〜。ポンコツなんでまずはTCP/IPから覚えまーす。」
みたいにぬるく受け流しちゃおうと思います。だって言ってることもコロコロ変わるし…受け止めてたら自分が潰れるわ。
学ぶのも当然大切だと思う。思うけど、
自分がやってきた道を人に押し付けて自己顕示欲は満たされるだろうけど受ける側はたまったもんじゃねーんだよ。と言いたい。
声を大にしてイキっている人たちには言いたい。
まぁ、そんなことを言っていると「言論の自由が〜フンチャカフンチャカ」って言うと思うんですけどね。
自分の逃げ道は自分で作る。後からそこに負けない自分のスキルを作ればいい。
実力主義の世界をどう生き残るのかっていう生存戦略を考えないといいように喰われるだけやで。